器から始める、暮らしのいろどりづくり。
「移住は、理想通りの暮らしがすぐ手に入るものだと思われがちです。でも、実際はそうではないことも多いのではないかと思います」
自身が手がけたカップに目を落とし、ゆっくりと言葉を選ぶのは、陶芸家の齊藤博之(さいとう ひろゆき)さんです。熊本市出身で、東京で社会人経験を積んだのちにUターンし、2012年に陶芸を始め、独学で技法を探求してきました。現在は、器に“もののあはれ”の美を映し出す作家として、国内外で作品を発表しています。その制作の根底にあるのは、『暮らしを自分の手で整えていく』という姿勢。齊藤さんが器を通じて見出した、暮らしをいろどる術を伺いました。

目の前の暮らしを、少しずつ好きになる
「僕はよく、好きなことを仕事にできていいですね、と言われますが、過剰な期待を持ちすぎると、現実とのギャップが生まれてしまいます。そこは、仕事も暮らしも似ているなと感じます。だからまずは、目の前の生活を少しずつ好きになっていくことが大切だと思います。暮らしの中の小さなことを、自分なりに工夫していく。その積み重ねが、土地への愛着を生み、その街を好きになるきっかけになることもあるはずです」
最初からすべてを好きになる必要はない、と齊藤さんは話します。
「ものづくりも同じで、うまくいかないことの方が多いです。でも創意工夫を重ねていくうちに、だんだん愛着が生まれてきます。暮らしも同じなのではないかと思っています」
熊本という土地の余白
齊藤さんが熊本に戻って感じたのは、日常の中にある“余白”でした。自然や温泉、人との距離の近さ。忙しい日々の中でも、ふっと力を抜ける瞬間をつくりやすい環境があります。制作拠点のある植木町も、齊藤さんにとって心地よい場所のひとつ。温泉地として知られるこの地域は、豊かな農産物にも恵まれ、福岡にも近い立地から各地への移動もしやすいエリアです。暮らしと制作のバランスを保ちやすい環境が、日々の創作を支えています。
「私は神社を訪ねることが多いのですが、その土地に昔からある場所は、懐が深いというか、心地よさを感じやすいですね。自分にとって安心できる場所を見つけるうちに、少しずつ土地との距離が縮まる気がします」
それは神社でなくてもかまいません。カフェでも、温泉でも、散歩できる場所でもよいのです。まだ見ぬ完璧な場所を探すのではなく、目の前の自分の選択を“正解にしていく”。その姿勢は、齊藤さんが熊本で陶芸を続ける中で見つけた生き方でもあります。
土に触れ、無心になる瞬間を体感して
現在、玄窯では熊本市北区植木町の「玄窯」と、熊本市西区蓮台寺の「cup.」2拠点で陶芸体験を行っています。今回訪れた玄窯では、まずマグやカップなど、つくりたい器と好みの釉薬を選んだら制作を始めます。専門のスタッフが一つひとつ丁寧にサポートしてくれるため、初めての方でも安心です。
土のひんやりとした感触が手のひらに伝わり、回転するろくろの上で、やわらかな土の塊が少しずつ器の形を変えていきます。思うようにいかないこともありますが、その揺らぎこそが陶芸の醍醐味。気づけば時間を忘れ、夢中になる方も多いとか。「器の出来栄えも楽しみではありますが、制作の過程で無心になれる時間を、少しでも体感していただけたらうれしいですね」と齊藤さんは、優しく語ります。
移住とは、まっさらな時間を育むこと
体験の後は、カフェで玄窯の器に触れながら、使い心地や質感を感じられるのも魅力のひとつ。器を使う。眺める。工夫する。大切なのは、そうした日々の繰り返しの中で、暮らしに少しずつ愛着を育んでいくことです。移住とは、環境を変えることだけではありません。日々の時間の質を、ゆっくりと自分らしく塗り替えていくことでもあります。
熊本市には、海や山の自然、温泉、街中の店、そして人との心温まるやりとりがあります。そうした時間の中で、自分が心地よいと感じる場所を一つずつ見つけていく。その積み重ねが、いつしかその土地を「自分らしく、生きる場所」にしていくのかもしれません。完璧な暮らしを最初から求めなくてもいい。まっさらな時間の中で、小さな選択を重ねながら、自分なりの正解を育てていく。玄窯での陶芸体験は、その静かな第一歩になるのかもしれません。
玄窯
〒861-0102 熊本県熊本市北区植木町内985
℡ 096-295-6001
営 10:00~17:00(最終受付16:00)※予約優先制
休 木曜
体験料金 1点制作3,500円~(電動ろくろ使用)
※器の形・釉薬の種類によって金額が異なります。
詳細はHPをご確認ください。

その他、熊本市で器が買えるお店
彼方
店主の審美眼で選び抜かれた古い器や骨董品をセレクトしたお店。江戸時代〜戦前のものを中心に、国内外や中国、ヨーロッパのものまで揃う。
〒860-0035 熊本県熊本市中央区呉服町2-31-1-1F
℡ 096-274-0033
営 11:00〜18:00
休 不定
https://www.instagram.com/kanata_antiques/

ギャラリー月まち
今年の7月に20周年を迎える器屋。県内外の作家の器が店内に並び、日常使いできるものや、大切な人へ贈りたいものなど、器を選ぶ時間もたのしい。
〒860-0845 熊本県熊本市中央区上通町9-14
℡ 090-9597-8820
営 インスタグラムの投稿を参照
休 不定



