熊本城は、熊本市民にとってどんな場所? 今、どうなっていますか?

築城から約400年、熊本のまちを見守り続けている熊本城。2016年の熊本地震により大きく傷つきましたが、復興のシンボルとして、一歩一歩復旧へと歩みを進めています。今回は、熊本市で育ち、市職員として熊本城を見守り続けてきた「熊本城総合事務所」首席審議員 津曲俊博さんに、熊本城の現状と今後の復旧についてのお話、さらにこれからの熊本城と熊本市を担う人たちへの思いをお聞きしました。

天守閣付近で、遠足中の園児たち

取材日は小春日和。津曲さんと一緒に熊本城の敷地内を歩くと、二の丸広場や、2020年6月に公開された特別見学通路、天守閣付近で、遠足中の園児やカメラを手にした観光客、家族連れなど様々な人とすれ違います。「熊本城は観光地でもあるけど、公園のような場所でもあるんですね」と声をかけると、「市民にとっては、身近に当たり前にある存在なんですよ」と津曲さん。

熊本城と男性

日本のお城には平城(ひらじろ)、山城(やまじろ)などいくつかの形式があります。名古屋城などの平城は、住民との距離は近いけれど周りの施設に埋もれて目立たない。安土城などの山城は、高いところにあって目立つけれど住民との距離が遠い。一方で熊本城は『平山城(ひらやまじろ)』に分類されます。住民や市街地との距離が近く、それでいて高い位置にあってとても目立つ。そんな距離感も、お城が熊本市民にとって身近で誇らしい存在になっている理由の1つでしょう。

そう語る津曲さんも、熊本城と共に暮らしてきた市民の1人。北海道札幌市生まれで、2歳で熊本市に移り住むことに。

『躍進熊本大博覧会』の思い出の写真

この写真は、天守閣再建(1960年)を記念して1962年に開かれた『躍進熊本大博覧会』の思い出ですね。なんと天守閣前に戦車が運び込まれたんです。今では考えられませんが(笑)。中央の子どもが私です。城内が遊園地さながらの光景になって、ワクワクしたのを覚えていますね。

お見知り遠足、スケッチ大会、卒業アルバムの撮影など、青春の1ページを彩ってきた熊本城は、津曲さんにとってずっと身近な存在でした。 大学卒業後、熊本市役所職員となり、以来20年近く熊本城に関わる業務に従事。改めて「熊本城の存在感」について感じたことがあるといいます。

たとえば、熊本城復元のために設立した『一口城主』。市民からも膨大な額の寄付が届き、本当に驚きました。『熊本城のためなら』という意識が市民に根付いているのだと痛感し、ありがとうの言葉では言い尽くせない感謝の気持ちを、ずっと抱き続けています。熊本市民の多くの人が、ただお城が好きなだけではない、『熊本城の応援団』なのです。

天守閣内部展示(4階 復興城主デジタル芳名板)
天守閣内部展示(4階 復興城主デジタル芳名板)

そんな熊本城を襲った熊本地震。特に、4月16日未明の本震で甚大な被害を受けました。天守閣の屋根から瓦が落ち、天守閣前広場には亀裂が。宇土櫓など国指定重要文化財13棟が損壊し、石垣は全体の約3割が損壊。「城の形が変わってしまった」という絶望感の中で、津曲さんは熊本城復旧のプロジェクトリーダーとなり、陣頭に立ちました。

一番大変だったのが、復旧に向けたロードマップを描くことでした。『地震前の姿に戻す』は大前提。その上で、耐震性の増強など、施設としての強化も図らないといけません。県知事も『創造的復興』という言葉を掲げていらっしゃいましたが、ただ『元に戻ってよかったね』だけではなく、『復興するということ自体にも付加価値をつけられる方法はないだろうか?』と皆でアイデアを出し合った結果、たどり着いたのが、『過程を公開しながら復旧する』という道筋でした。

2021年12月現在の戌亥櫓。この後解体され、石垣の積み直し、修復に入る予定
2021年12月現在の戌亥櫓。この後解体され、石垣の積み直し、修復に入る予定
2021年12月現在。こんなに間近で、文化財の工事現場を見下ろせるのは貴重
2021年12月現在。こんなに間近で、文化財の工事現場を見下ろせるのは貴重

各所の被災調査を進める中で、まずは天守閣の修復を急ピッチで進めることとし、2019年10月には大天守外観が復旧。熊本城特別公開第1弾として、城内一部区間の通行と天守閣の外観見学ができるように。 2020年6月の第2弾では、地上約6メートルの高さから天守閣や石垣の景色、さらに復旧工事の様子を見ることができる特別見学通路を公開。そして、2021年6月28日には大小天守閣の復旧が完了し、第3弾として天守閣内部の公開が始まりました。

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熊本城特別公開第3弾 天守閣内部の様子。天守閣内部の様子はこちらもご覧ください。熊本市観光ガイド(「熊本地震から5年。復興のシンボル「天守閣」が全面公開!」)

天守閣の修復を急いだのは、熊本城を復興のシンボルとしたかったというのはもちろん、幸いにして建物が鉄筋コンクリート造であり、基礎杭があったため、解体や石垣への耐荷重の心配がなく、他の文化財に比べて早く修復できる事情があったからです。

その中でこだわったのが、特別見学通路。熊本城の復旧が完了したら解体してしまうものですが、仮設ではなくきちんとした通路を造りました。『公開しながら復旧する』ことの価値を作り出してくれる一番のポイントです。『文化財ってこういう風に復旧していくんだ』『石垣の仕組みってこうなっているんだ』、そんなことを知りながら、今しか観ることができない熊本城の姿を楽しんでいただきたいですね。

熊本城を見守る男性
特別見学通路は地上6メートル。「この目線で天守閣や石垣を観ることができるのは、この通路がある期間だけ。かつてのお殿様も見たことがない景色ですよ」と津曲さん

では、今後の復旧は? 「天守閣復旧は、あくまで通過点」と津曲さん。

天守閣以外の建物は、崩落した石垣の上に立つ木造建築物のため、建物を解体したあと、石垣を解体・積み直しし、その上に改めて建てる、という工程を経る必要があります。その中で、石垣の修復が最も時間のかかる作業なのです。『築城は7年でできているのに、なぜ復旧に20年もかかるんだ』との声もあるかもしれませんが、石垣はゼロから作るよりも修復する方が大変。だからこそ、日々進んで行く復旧の様子を、特別見学通路からぜひ見て欲しいですね。

1つ1つ番号が振られ、元の位置に積まれるのを待っている石垣の石

次の復旧の目玉となりうる宇土櫓や本丸御殿大広間、飯田丸五階櫓などは、いずれも今後10年単位の長い工期がかかり、城内全体の復旧完了は2037年度の予定。まだまだ先は長くとも、一歩一歩、復旧へと進んでいます。

これから、熊本城や熊本市を担っていく人々への思いは?

熊本城を復旧することは、文化財としての価値を守ることはもちろん、熊本市の特性を活かしたまちづくりにも繋がります。サクラマチクマモトのような現代的な建物をつくり、賑わいを創出することも当然必要ですが、その中に“熊本市らしさ”をつくるためには、熊本市が歴史的に持っているものを大切にしなければならないと考えています。

ともすれば利便性だけを追求して、平準化した街へと開発を進めてしまいがちですが、『何を守らなければならないか』という点をしっかり考え、古いものと新しいものとの調和を図って、メリハリのある熊本市らしい街の魅力を追求していって欲しいですね。

熊本城を背景に立つ男性

最後に、熊本市への移住を検討する人へのメッセージを。

街も自然もあって、お城もあって、水も食べ物も美味しい。お伝えしたい熊本市の魅力はたくさんあります。が、百聞は一見に如かず。まずは熊本市を訪れて、いろんな場所でいろんなことを見聞きして、どういう風に感じるかを大切にしてほしいです。そして、雰囲気が合うのかどうか、自分が求めているものがあるのかを検討し、『いいな』と感じられる何かがあったのなら、ぜひ移住先として選択していただきたいです。


関連リンク 熊本城公式サイト|https://castle.kumamoto-guide.jp/

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熊本はどうデスク ライター紹介

ライター中川さん

中川 千代美

なかがわ・ちよみ/長崎生まれ、熊本在住。地方出版社に勤めたのち、「チヨミ編集事務所」として独立。地域の子育て情報誌や生活情報紙をはじめ、幅広いジャンルの編集・ライティング・企画を手がける。
食欲・物欲・お出かけ欲・温泉欲・ビール欲が赴くままに熊本・九州を駆け回る日々。趣味は二胡。
熊本住居歴/22年