人とのつながり方が
変わった

日本の農業の未来を描く、若き起業家の挑戦

東京や海外での生活を経て、改めて地元・熊本の素晴らしさを再確認し、家族と共に熊本市へ移住した中原功寛さん。「日本の農業を変えたい」という熱い想いを胸に、これまで培った経験や知識を駆使して、農業のイノベーションや地方創生に挑んでいます。熊本に移住して変化した、人との関わり方や働き方について話を聞きました。

将来に悩み、海外の大学へ。そこで気付いた日本の魅力

ー 中原さんは高校を卒業後、アメリカの大学に進学されたそうですね。何か理由があったのですか?

私は、熊本県北部にある山鹿市(旧鹿本郡鹿央町)の、スイカを栽培する農家に生まれました。こどもの頃は、自然の中で釣りをしたり虫とりをしたりとのびのび過ごし、地元が大好きでした。

高校生になり将来について考えるようになると、自分は何がやりたいのかと悩むようになりました。農家を継ぐことなんて考えも及んでいませんでした。そんな時、アメリカの大学は学部未決定で入学できると知り、小学生の頃から漠然と海外に憧れていたこともあって、留学を決めました。

ー 海外で過ごしたことで、日本や農業に対する想いにどのような変化がありましたか?

初めて日本を外から見た時に、それまでは意識したこともなかった日本の魅力に気付くことができました。例えば、店の接客、公衆衛生、人の勤勉さや親切さ、なんと言っても日本の食事は断トツにおいしく、ご飯を作れば外国人の友人も喜んで食べに来ていました。

気付いたら自然と「郷土愛」が芽生え、幼い頃から慣れ親しんだ「農業」についても強く意識するようになりました。今でこそ食の安全保障や多面的機能など農業の重要性を学びましたが、当時は理屈ではなく、親族が皆一生懸命働いているのを間近で見て、この誠実な人たちが報われてほしいというそんな思いでした。

ー 大学を卒業後も、東京のベンチャー企業立ち上げや農林中央金庫勤務、ハーバードビジネススクール卒業と、華々しい経歴をお持ちです。熊本に帰ろうと思われたきっかけは何だったのですか?

大学卒業後、農業工学を学ぶ大学院への進学検討中に、ベンチャー立ち上げを経験し、ビジネスの面白さを知りました。ビジネス視点から農業貢献ができるという理由で農林中金に就職し、ビジネススクールの選択授業では食農関係を多く履修しましたが、なかなか直接農業に携わる機会が得られませんでした。自身が立ち上げに携わったベンチャーに復帰し、農業とは別の社会課題にも取り組んでいましたが、「いつかは農業を変えるような事業に取り組みたい」と常に考えていました。

そんな中、2020年初頭よりコロナ禍へ突入。会社の勤務形態がフルリモートに切り替わったことで、熊本でも東京の仕事をできるのではと考えたのです。以前より「今後畑をどうしていくか」と父から相談されており、加えて、こどもたちを豊かな自然の中で育てたいとの想いも募り、移住を決意しました。

2021年9月に妻とこども2人と義父、そして犬と亀を連れて熊本市に移住し、2022年1月に農業生産法人「(株)コウサクファーム」を創業。4月には農業近代化を目的として前年東京で設立していた「(株)コウサク」を移転し、7月、11月には地方創生に資する「やまがBASE(株)」と「やまがBASE(事組)」をそれぞれ立ち上げました。

こどもの教育環境を考え、熊本市へ移住。東京との家賃の差に驚き

ー 熊本市を選ばれた理由は?

会社を登記し圃場もある山鹿市と隣接しており、こどもの学校が近く、熊本に馴染みのない妻や義父の暮らしやすさという観点も考慮し熊本市を選びました。こどもは東京の小学校から転入して1年が経ちましたが、友だちもたくさんできてとにかく毎日楽しそうです。私もこちらに越して来てすぐに「親父の会」に入り、父親同士の交流を通じて〝パパ友〟ができました。

中心街にも車やバスですぐ出れますし、動植物園やパークドーム、運動公園など、こどもたちが遊んだり、体を動かしたりできる場所も豊富です。一方で、山鹿市の圃場まで車で30分かからず、こどもと山でキャンプをしたり、畑仕事をしたりしています。東京に住んでいた頃よりもこどもたちと一緒にできることが増え、その成長を見るのが楽しいです。

中原さんご提供写真

ー 一緒に移住された奥さまと義理のお父さまは、初めての熊本暮らしだそうですね。どのように過ごされていますか?

妻と義父は愛媛県出身で、もともと熊本には縁もゆかりもありませんでした。妻は、「運転中に道を譲ってくれる」という熊本の人のおおらかさに加えて、「食べ物もおいしい」、「物価も安い」とよく感動しています。わが家の場合、今住んでいる一軒家は、東京で住んでいたマンションの倍の広さがあるのに、家賃は3分の1。家の中でこどもたちが階下を気にせずに動き回れたり、庭で犬を遊ばせたりと、家族皆のびのびと暮らせています。

義父は俳句が趣味で、東京の同人会を続けつつ熊本の同人会にも所属し、新たな俳句仲間と作句活動に精力的に取り組んでいます。肥後六花や阿蘇の野焼き等、熊本ならではの句も見事でした。歴史にも造詣が深く、遺跡や古墳、寺社仏閣を訪れ、熊本出身の私よりよっぽど熊本に詳しいです。

利他の心を大切にする熊本。ご縁でつながるさまざまな事業

ー 今後、熊本でどのように事業を展開していく予定ですか。

農業は尊い職業ですが、かつての私がそう感じたように「大変そう」などのマイナスなイメージがあり、「農家を継ぎたい」、「挑戦してみたい」という若者は少ないのが現状です。結果として農業を主産業の一つとする地方では若者が減少し、身近なところでも事業を継続できない事例が多く出てきています。今後は農業を「面白い」と言われる産業に変え、田舎でもクリエイティブなことができることを示していきたいです。自分の会社だけではなく、地域の事業者の方々と課題を解決する新たな取り組みについても協議していますし、前述した「やまがBASE(株)」と「やまがBASE(事組)」は熊本に帰ってきてから繋がった仲間と共同設立したものです。

熊本には、自身の利害など関係なく、相手のことを思って行動する尊敬すべき人が本当に多く、そうした方々のおかげで私もどんどん仲間の輪が広がり、いろんな新しいことに挑戦できています。熊本で「人とのつながり方」が変わり、本当に有り難いと感じています。

ー最後に、これから熊本市へ移住を考えている方々にメッセージをお願いします。

今は働き方が多様化し、地方にいながら東京の仕事をしたり、複数の仕事を同時にこなしたりすることも可能な時代になりました。私も実際、熊本に帰ってきてから「働き方」が大きく変わりました。朝一番でアスパラガスの収穫作業をして、その後は海外の企業とオンラインで会議し、午後からはまた別の仕事をするなど、場所に捉われず仕事をすることができています。農業も朝から晩までやる時は大変ではありますが、朝から自然に触れるのはとても気持ちがいいですよ。

中原さんご提供写真

熊本市は清らかで豊富な地下水が流れ、水はおいしく、その水で育つ食材もとてもおいしいです。熊本市の植木町や隣の山鹿市で盛んなスイカの生産量は、熊本県として全国1位。日本三大名城の熊本城からサウナーの聖地まで、魅力あるスポットがたくさんあります。市外に足を延ばせば、世界に誇る雄大な阿蘇の自然や美しい天草の海など、観光地も充実。県内一の温泉湧出量を誇る山鹿市も忘れずに。働き方の選択肢が広がった今だからこそ、この恵まれた環境で仕事をする、ということをぜひ検討していただきたいですね。

お名前:中原 功寛さん
取材時の年齢:30代
ご職業:株式会社コウサク 代表取締役社長
移住歴:2年目
移住前の居住地:熊本県山鹿市→アメリカ(大学)→東京→シンガポール(転勤) →東京→アメリカ(大学院) →東京