人との関わり方が
変わった

子どもたちにバスケットを。
地震を経て、導き出した熊本での夢

小笠原さんは、生まれも育ちも東京都杉並区。
小さな頃からの夢を実現するための大学進学でやってきた熊本で、熊本地震を経験。
そこで学んだものやご縁を元に、熊本で生きていくことを決めました。

緑あふれる熊本市体育館と青年

船旅への憧れと、知らない土地での選択

ー 熊本への移住を決めたきっかけを教えてください。

僕が中学3年生の時に、姉が東海大学の教育活動の一つ“海外研修航海”で船旅に行ったんです。
上の姉もアメリカに留学するなど、「海外には興味があれば行け」という家庭だったので、若いうちに色々な物を見たいな、船旅いいな、という憧れが、自然と自分の目標となっていました。

東海大学には“海外研修航海”という大学特有のカリキュラムがあり、そのため「海外=東海大学」という公式が自分の中には出来ており、高校も東海大学付属高校へと進学しました。

全国に幾つかある東海大学のキャンパスから「自分の知らない土地で試したい!」という気持ちがあったので、日本で一番南にある熊本のキャンパスを選びました。
これが僕の熊本への移住となりました。

ー 船旅への憧れ! 漫画みたいですね(笑)。

ただ、楽しみなことばかりではなく、不安ももちろんありました。
東京で初めて経験したバイトが時給1,300円だったので、いくら熊本の家賃が安いとはいえ、そもそも暮らしていけるのか?稼げるのか?という不安がありました。

しかしここは熊本。実家が農家の友人などに野菜とお米を支給してもらっていました(笑)。東京にいた頃は、まさかそんな経験が出来ると思っていませんでした。

土地が持っている人とのコミュニケーションの重要性や重さが、熊本ではしっかりと構築が出来ていて、お金ではないところでwin-winな関係が出来ている。そういう状態をすごくいいなと思っています。

ー すごくあたたかい関係ですね。それ以外に不安や困ったことはなかったんですか?

熊本に来て初めに困った事といえば、言葉の壁。すぐに慣れたんですが、初めはお年寄りの
方が何を言っているのか正直分からなかったこともあったんです(笑)。あとは交通の便。
都心にいた頃はどこに行くにも電車だったので、熊本の電車の本数の少なさに驚き、すぐに免許を取りに行きましたね。

熊本地震で得た、地域と人とのつながり

ー そういえば、肝心の船旅には行かれたんですか?

憧れの研修航海に2016年の2月に行くことができ、順風満帆な学生生活を送っていました。しかし同年4月、熊本地震が起こってしまいました。僕自身、東京で2011年の東北大震災も経験していたこともあって、すぐに「困った人のために動きたい!」と、有志の方が立ち上げた「一般社団法人 チーム熊本」という震災支援団体の物資配送チームの学生リーダーとして、災害支援に奔走しました。

すごい行動力ですね。そこで学んだことはありますか?

僕は主に物資が必要な所の情報をまとめる役割を担当していたんですが、避難所を回ってニーズを聞いたり、届いた物資を仕分けるなど、ほかのスタッフも本当にそれぞれの役割をしっかりやってくれて、力が3倍にも5倍にもなるような感覚を覚えました。

一緒に頑張ってくれた人とのご縁に大変感謝していますし、強い“絆”のような繋がりを構築する事が出来ました。これらが自分の糧となり、卒業後も熊本に残る大きな理由となりました。

ー そういった方が熊本を好きで、熊本のために動いていると聞くと、とても嬉しく感じます。

同時に新たな夢も見つかったんです。

熊本地震の影響で体育館が被災し、バスケットボールがしたくても出来ない子ども達を見て「どうにか支援したい」と思い、『WINg kumamoto』というチームを立ち上げ、屋外用リングの購入支援や、『熊本ヴォルターズ』と連携した技術支援などのクリニックを行いました。現在も、バスケを通したイベントの運営やバスケットボールリング設置などの活動を続けています。

彼らが中学、高校、大学と進学してもここ熊本でバスケができるような空間を作り続けていきたい。スクールやイベント、公園など、バスケができるコミュニティを1秒でも1回でも1箇所でも増やしていきたい。そんな想いから一生懸命に取り組んでいます。

ー 小笠原さんをそこまで駆り立てるバスケットボールですが、もともと小笠原さんご自身は幼少期から経験されていたんですか?

こんな話をすると、よっぽどバスケに青春をかけていたんだろうと思われることが多いんですけど(笑)、僕のバスケ人生は高校からスタートします。

バスケットは世界で唯一男女の選手人口がほぼ一緒で、老若男女、皆が平等に楽しむことができるスポーツです。ボールが言語であり、パス、ドリブル、シュートをすることで、この人が今何を考えているか、アイコンタクトともらったボールで分かる・・・そのコミュニケーションがとても楽しいんです。僕はバスケを、世界共通のコミュニケーションツールのひとつだとも思っていて、この素晴らしい魅力をたくさんの人と共有しながら、みんなが笑顔になれる時間をつくっていきたいと思っています。

大学生活も終盤に差し掛かったころ、就職活動をして東京の会社に内定を貰っていたんですけど、地震の時に培ったネットワークやいただいたご縁を熊本で活かしたいという想いと、さらにバスケを通して熊本の人たちを笑顔にしたい!という想いを強く持っていたため、内定を辞退して熊本で暮らし続けることを決意しました。

ー 移住した理由とは別に、叶えたい夢が出来て実際に叶えてしまう小笠原さんのパワー、本当にすごいです!

いえいえ。まだまだ夢はたくさんあるんです。
2019年4月に熊本市の小学校の部活動が廃止になってしまったことをきっかけに『After school choice』のディレクターとなり、放課後の子どもたちに英会話やプログラミングなどの楽しさを伝えるお手伝いをするなどもしています。毎日ワクワクすることがあって、とても充実していますよ。

体育館でバスケットボールを笑顔で持つ青年。

これからも熊本に。ここにしかない物と残したい物

ー 小笠原さんのフィルターを通した熊本が、とても魅力的に感じます。
これから熊本に住み続けたいと思える原動力はどういうものでしょうか?

熊本が持つ阿蘇や天草という自然。そこから美味しい米や野菜が届く街で、熊本でできた大切な仲間たちと美味しいご飯やお酒をいただく。

こんな最高なことってないですよね。東京ではこれらに代えられる物が僕にはありません。

東京にある商業施設やテーマパークなどの観光資源は、人口が減少するにつれ退廃してしまうものだと思いますが、熊本にある豊かな自然をベースとした観光資源は、人口が減少しても美しく残り続けると思います。もちろん人の手も加わっていますが、例えば阿蘇の野焼きだったりというのは、熊本の人々が後世にこの素晴らしい資源を残すため代々行ってきたことです。そのような伝統や自然が残っている熊本はやっぱり好きだなと思うし、自分達で残していきたいと思えるんです。

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お名前:小笠原さん
取材時の年齢:23才
ご職業:『WINg kumanoto』代表理事、『After school choice』ディレクター
移住歴:6年目
家族構成:単身
移住前の居住地:東京都杉並区